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広島高等裁判所松江支部 昭和31年(う)134号 判決 1957年4月01日

控訴人 原審検察官

被告人 大田義春

弁護人 花房多喜雄

検察官 後藤卓幹

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮六月に処する。

但し、三年間右刑の執行を猶予する。

当審及び原審の訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

検察官の控訴の趣意は、記録編綴の検事吉川栄之助名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

原判決が、被告人は乗合自動車運転手としてその業務に従事中、昭和三〇年四月一三日乗合自動車(鳥二-二三一四六号)に乗客約四〇名及び車掌楠繁子当一六年を乗せて之を運転し、鳥取市若桜街道を進行中、午前一一時三五分頃中国電力株式会社鳥取支店前停留所に到達停車し、乗客の乗降を終えて発車したが、かかる場合自動車運転者は、乗降口の扉が車掌により完全に閉止されたことを確認した後進行し、且車掌から停車の合図があつたときは直ちに停車すべき業務上の注意義務があるに拘らず、被告人は不注意にも、当時扉は開かれたままであつたに拘らず、之に気付かずしてそのまま進行を始め、且車掌から危険が切迫して居ることを思わしめるような声で停車の合図があつたに拘らず停車しなかつた為、乗降口に立つて下車を求めて居た宮下和子当七年を転落せしめ、外陰会陰直腸肛門部挫傷及び恥骨右大腿部骨折等の傷害を与え、出血多量により死亡せしめたものである、との公訴事実に対し、所論摘示の理由により、無罪の言渡をしたものであることは、原判文に照らし明白である。

よつて、記録に基きこれを検討する。

一、凡そ自動車運転者が自動車を運転するにあたつては、その運転する自動車の種類如何を問わず、常にこれを安全な方法によつて運転する責任を有するものにして、車掌又は助手を同車させて運転する場合においても、運転者に固有の、右安全運転の責任には、何等の消長を来たすものではない。道路交通取締法施行令第一七条は、車の操縦者に対し、安全な運転をするために遵守すべき事項を規定しておるが、右は当然車の操縦者としての自動車運転者に対しても適用があるものであるから、自動車運転者は、同条第六号所定の「とびらを閉じ、又は乗つている者の転落を防ぐために必要な鎖、ロープその他の安全装置を施して諸車を運転する」義務を負うものというべく、従つて乗合旅客自動車の運転については、とびらを閉ぢ、乗つている者の転落を防ぐ装置をして、発車進行をする義務があるものとすべきである。

自動車運送事業等運輸規則(本件当時は昭和二七年運輸省令第一〇〇号として施行されていたが、同令は昭和三一年八月一日運輸省令第四四号により全面的に改正、廃止されたるも、改正後の省令においても同趣旨の規定がある)が、一般乗合旅客自動車運送事業者、一般貸切旅客自動車運送事業者は、事業用自動車に車掌を乗務させなければならないものとし、これ等自動車の運転者は、車掌の合図によつて発車を行うものと規定したのは、これ等旅客自動車は、一時に多数の乗客を輸送するのを通常とするものであるから、特にその人命に対する危険防止の見地よりする輸送の安全、旅客の利便確保のために、道路運送法の規定に基き、車掌の乗務その他のことを運輸大臣が定め、もつてより一層安全な運転を期したものである。右規定の存することよりして、乗合旅客自動車にあつては、運転者に対する前記施行令の義務は排除せられ、発車についての責任は、挙げて車掌にあるものとし、運転者は車掌の合図に従つて発車進行さえすれば、それが安全な状態においてなされたものかどうかを確認する義務はないものと、解すべきでないことは、同規則制定の趣旨及び文理に照らし、明白であるというべきであつて、又このことはこれを形式的に論ずるも、右規則は省令にして、政令より下級の命令であるから、規則によつて、上級の政令であるところの道路交通取締法施行令に定める前記自動車運転者の義務を、排除する効力を認めることは、不合理であることよりしても、容易に首肯できるのである。即ち乗合旅客自動車の運転者は、車掌によつて発車の合図がなされたときと雖も、乗降口の扉が閉ぢられ、乗客の転落を防止する安全装置がなされているかどうかを確めた後、発車進行すべき義務があるものとするを相当とする。すると、原判決が、被告人は本件乗合自動車を運転するにつき、乗降口の扉が解放された侭で出発進行した事実を認めながら、前記自動車運送事業等運輸規則第二六条第七号の規定を根拠とし、道路交通取締法施行令第一七条の適用を認めず、右は車掌の合図によつて発車したものであるから、運転者たる被告人には、乗客の転落防止の安全装置をせずして出発進行したことについて、責任はないものと判断したのは、法令の適用を誤つたもので右誤りが判決に影響を及ぼすことは明白であるから、原判決はこの点において破棄すべきである。論旨は理由がある。

二、実況見分調書、原審検証調書、原審の宮下かつ、宮脇幸子、高垣芳恵、楠繁子に対する各証人尋問調書、楠繁子の検察官に対する供述調書、被告人の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書を綜合すれば、被告人は公訴事実記載の日時本件自動車を運転し、中国電力株式会社鳥取支店前停留所を出発したが、その発車直前に、宮下和子当七年が車を間違つて乗車し、乗降口のステツプに立つており、車掌は扉を閉ぢないまま発車合図をしたものであつて、その侭発車進行するときは、右幼女が転落する危険があつて、かかる場合運転者は、車掌によつて扉が閉ぢられ、乗客の転落を防止する安全装置がなされたことを確認すべき注意義務があるのに、被告人は、不注意にも右のことを気付かず、漫然と車掌の合図だけによつてその侭発車進行し、時速約七粁位で同停留所から東北約九米に在る十字路の曲角を北西に向つて迂回しようとした地点において、右幼女がしきりに降車を求めて止まないので、車掌から停車の合図を受けたのであるが、何故車掌が右停車合図をするものかを確めもせず、右は乗遅れの客があつて停車合図をするものと軽信し、且同所は曲角であつて、一般には停車禁止区域になつているため、同所を通過してから停車しようと考え、その侭進行を続け、更に七、九米位進んだところ、車掌から更に停車合図があり、続いて乗客中に子供がひかれたと叫ぶ声があつたので、直ちに急停車をしたが、その時は既に前記宮下和子を自動車外に転落させ、後車輪で敷いて傷害を与え、遂に死亡させるに至つたもので、若し、被告人が、右曲角における車掌の停車合図によつて、直ちに急停車の処置を採つておれば、本件事故は、未然に防止し得たであろうことを認めることができるのである。原判決は、右曲角における車掌の停車合図は、特に危険を知らせる為の非常の停車合図と認める証拠はないから、通常の停車合図というべく、通常の停車合図によつては、曲角等の停車禁止区域においては、停車すべき義務はないのであるから、被告人が右停車禁止区域において停車合図を受けながら、危険防止のための即時非常停車をせず右区域を越した所で停車したことについては、被告人に過失は認められないとし、車掌の停車合図が非常を告げるものであつたかどうかの点に関する楠繁子の検察官に対する供述調書は、高垣芳恵の証人尋問調書の記載に照らし、信用すべき特別の情況があるとは認め難く、又被告人の司法警察員並に検察官に対する供述調書も、右同様高垣芳恵の証人尋問調書の記載からして、任意性がないと認め、何れも証拠とすることができないとしてこれを排斥しているのである。なるほど右高垣芳恵の供述によれば、右停車合図は普通の声で特別に大きな声ではなかつたとするに対し、楠繁子の検察官に対する供述調書によれば、ストツプ願いますと続けて叫んだと記載され、被告人の司法警察員又は検察官に対する供述調書によれば、車掌がただならぬ声で、ストツプを連呼した、又はストツプ願いますと続けて叫んだ、と記載され、その緩急の程度において多少異るのであるが、何れにしても車掌の停車合図があつて、これが被告人に判つていたことは優に認め得られるところであつて、事故に対する立場の相違よりする関心の程度又は各人の思い違い等のため、瞬間時のできごとについての右程度の違いの存することは、経験上屡々認められるところであるから、一概に高垣芳恵の供述のみを真実なりとも断定し難く、従つてそれだけの事由で、直ちに右楠繁子の検察官に対する供述調書又は被告人の司法警察員並びに検察官に対する供述調書が、信用性ないし任意性がないものとし、証拠能力を否定するのは当を得ないところである。しかして前記のように右車掌の停車合図が被告人に達していたことは、証拠上十分認め得られるのであつて自動車運転者は車掌から停車合図があつたときは、たとえ道路の曲り角で停車禁止区域であつても、危険防止のための処置として必要なときは、非常措置として、急停車をし、危険を未然に防止すべき義務があるものにして、車掌の停車合図を受けながら、その事由を確認することなく漫然進行を続け、ために危険を生じたときは、業務上守るべき注意義務を欠いたものというべきである。すると、原判決が前記各証拠を排除し、車掌の危険切迫による停車合図があつたことを認める証拠なく、従つて公訴事実について犯罪の証明がないものとして無罪の言渡をしたのは事実誤認によるものにして、右誤認が判決に影響を及ぼすこと勿論であるから、原判決はこの点においても破棄を免れないのである。論旨は理由がある。

よつて、刑事訴訟法第三九七条に則り原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により直ちに判決できるものと認め、被告事件につき更に判決するものとする。

当裁判所が、罪となるべき事実として認める事実は、起訴状記載の公訴事実(冒頭掲記のとおり)と同一であるから、これを引用する。

(証拠の標目)

一、司法警察員作成の実況見分調書

一、異常死体見分(検視)調書

一、死体検案書

一、原審及び当審の検証調書

一、原審の証人宮下かつ、同宮脇幸子、同高垣芳恵、同楠繁子に対する各証人尋問調書

一、原審第三回公判調書中証人浅倉治己の供述調書

一、宮下かつ、楠繁子の検察官に対する各供述調書

一、当審の証人楠繁子、同高垣芳恵、同浅倉治己に対する各証人尋問調書

一、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書

(法令の適用)

行為につき刑法第二一一条罰金等臨時措置法第三条(禁錮刑選択)

執行猶予につき刑法第二五条

訴訟費用につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文

弁護人は原審において、被告人の行為はいわゆる期待可能性を欠くもので、刑事責任を認めることはできない、と主張するのであるが、本件犯行当時、被告人をして、他に適法な行為に出ることを期待することは、不可能な状態にあつたものと認められる証拠は、毫も発見できないところであるから、右主張は採用の限りでない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡田建治 裁判官 組原政男 裁判官 竹島義郎)

検察官吉川栄之助の控訴趣意

原判決は被告人に対し無罪の言渡しをし、その理由として「被告人に対する公訴事実は起訴状の通りと謂うにある。按ずるに被告人が日の丸自動車株式会社の乗合自動車運転手として業務に従事中、昭和三十年四月三十日午前十一時三十五分頃同会社の乗合自動車を運転して、鳥取駅前から若桜街道を北東に進行し中国電力株式会社鳥取支店前停留所に到達停車し乗客の乗降終了後、車掌の出発合図によつて出発進行を始めた際扉の開放された乗降口から宮下和子当七年が転落し、同自動車の後輪に敷かれて、外陰、会陰直腸肛門部挫傷及恥骨、右大腿部骨折等の傷害を受け、出血多量の為同日死亡するに至りたることは、第一回公判調書中、被告人の供述記載、被告人の当公廷に於ける供述、死体検案書、検証調書、証人宮脇幸子に対する尋問調書の各記載証人浅倉治己の当公廷に於ける供述によつて極めて明瞭である。仍て同自動車昇降口の扉が解放された侭で出発進行したことが、被告人の過失であるか何うかを考えて見る。道路交通取締法施行令第十七条によると自動車運転手は扉を閉ずる等乗客の転落防止の装置を施して運転進行すべき義務を課せられて居るけれども、自動車運送事業等運輸規則第二十六条によると、一般乗合旅客自動車運送事業者の事業用自動車の運転手は車掌の合図によつて発車進行することとなつて居るからこれによつて本件の如き乗合旅客自動車に在つては道路交通取締法施行令に所謂扉を閉ずる等の転落防止装置施行の運転手の義務は挙げて車掌の義務として転嫁され本件乗合旅客自動車の運転手たる被告人は車掌の発車合図があれば専ら之に従つて発車進行し得るものであつて、特に扉の閉止を確認する必要はないものと解するを相当とする。次に車掌から危険切迫による停止合図があつたに拘らず被告人が即時停車しなかつた過失の有無に付て検証調書の記載並証人楠繁子、高垣芳恵の各尋問調書の記載を綜合して考えて見ると、被告人は中国電力株式会社鳥取支店前停留所を車掌楠繁子の発車合図に従つて東北に向つて発進し同停留所から東北約九メートルに在る十字路の曲角を北西に向つて迂回するに当り道路交通取締法施行令第三十条第二号の停車禁止区域内に於て車掌楠繁子から数回停車の合図を受け同曲角を北西に曲り切つた所即ち右停車禁止区域を略越えた所で停車したのであるが、其の間本件事故を惹起したことが認められる。その際被告人が車掌の最初の停車合図と同時に停車して居れば或は本件事故を未然に防止し得たことは推認し得るけれども、右両証人の尋問調書の記載によると当時車掌の停車合図は特に危険を知らせる為の非常の停車合図であつたとは認め得ないから、被告人が右停車禁止区域に於て危険防止の為の即時の非常停車をせず、右説明の如く曲角を曲り切り停車禁止区域を越したところで停車したことは、被告人の過失であるとは断じ難い。此の点に関する楠繁子の検察官に対する供述調書の記載は右高垣芳恵の尋問調書の記載に照して見れば信用すべき特別の情況があるとは認め難く、被告人の司法警察員並検察官に対する供述調書の記載も同様高垣芳恵の尋問調書の記載から任意にされたものでない疑があると認めるから何れも証拠とすることは出来ない。そうすると本件については何れの点からも被告人に過失があつたとは認め得ない、依つて犯罪の証明がない」と判示して居るが、この判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の適用の誤及び事実の誤認がある。

一、凡そ自動車を運転することによつて起る事故に対する責任は総て自動車運転者にあることは理の当然である。然るに原判決は自動車の運転に因て起つた本件事故の責任が運転者である被告人には全く存せずその責任は挙げて車掌にありとして居るのであつて、この解釈は根本的に間違つて居る。車掌や助手が居るときでもその者等は単に運転者の手足機械となつて行動するに過ぎず、決して自らが運転に基く事故について責任の地位に立つものではない。このことは自動車の運転と言うが如き特別の知識と経験を要し免許を受けた一定の資格のある者でなければできない事務について特に然りである。これは法令に明文の規定があると否とを問わず条理上当然のことであつて判例が既に屡々この趣旨を明らかにして居るところである。(昭和四年十月十日大審院判例判例集八巻四七一頁、昭和七年七月九日同院判例判例集十一巻一〇八五頁等)原判決は本件乗合自動車(以下バスと略称)の乗客の転落防止に必要な措置である扉を閉じてから発車する義務は被告人にはないとし、その根拠として前記の如く自動車運送事業等運輸規則(以下規則と略称)第二十六条を挙げ、バスの場合には扉を閉ずる等の転落防止の装置施行の義務は車掌にあつて運転者にはなく運転者は車掌から発車の合図があれば扉が閉めてあろうがなかろうが其のような事にかまわず発車してよいと判示して居る。自動車を進行せしめることは即ち運転することであり扉を開けたまま発車する事は危険なことであるから此の危険防止の義務は前述の如く当然運転者にある。然るに原判決は此の義務は運転者にはなくて車掌にありとし、自動車の運転によつて生ずる危険防止の義務を車掌にのみ科するものとして居るのであつて、かくの如き解釈は絶対に容認することはできない。勿論本件に於て被告人自身が手を下して扉を閉めよと言うものではない。手足である車掌をして扉を閉じさせそれを確認して発進せよと言うのである。扉を開けたまま運転することは危険であるからこれを閉じて発進すべき義務が運転者にあること前述の通りであるがこのことは条理上そうである丈けでなく、道路交通取締法施行令(以下令と略称)第十七条にも明定されて居るところである。原判決は運転者が車掌の合図によつてのみ発車してよいとした根拠として規則第二十六条を挙げ、バスの場合は令第十七条は適用されないとして居るが、これは法令の解釈を極めて顕著に誤つて居る。右の規則と令とを対照すると令の規定は総ての車の操縦者の遵守すべき事項であつて其の中には本件被告人の如きバスの操縦者も含まれて居り被告人も当然此の令の事項を守らねばならない。規則の規定はバスの運転者が更に其の上に遵守すべき事項であつてバスの運転者は右の令の事項を守り、尚且其の上に此の規則の事項を守らねばならぬのである。これは右令及び規則の規定の解釈上当然である。何故なれば令にはバスについて何等の除外規定を設けて居ないし令は政令であつて規則は運輸省令で下級の命令であることから考えて、当然の結論である。実質的に言つてもバスは一般乗客を扱う関係上他の車よりもより以上に厳重な遵守事項を定め諸車の操縦者が遵守すべきことだけで足れりとせず其の上に尚別に遵守すべきことがらを追加したものである。それで本件について言えば被告人は令第十七条に従つて扉を閉ずる等して乗つて居る者の転落防止をするだけでは足らずその上更に車掌から発車の合図のあるのを待つて(即ち発車の合図があるまでは扉が閉じてあつても発車できない)発進すべしと言うことになるのである。原判決はこの両規定が相排斥するように解して居るのであるが、相排斥するものではなく重なるものである。即ち令に規定してある事項の外尚規則で規定してある事項をも遵守せねばならないのである。原判決の如く解するときは普通の諸車の操縦者よりもバスの操縦者の方が遵守すべき事項が軽いと言う結果になる。その様な解釈は許されないことは勿論又これを形式的に言うても原判決は政令の規定を省令で変更したと解するものであつて、下級の命令が上級の命令を変更すると言うが如き解釈は許されない。以上何れの点よりするもこの点に関する原判決の解釈は甚しい法令の解釈適用の誤りである。

右論述の通りであつて本件において被告人が発車するに当り、扉を閉めたことを認めてから発車すべき義務のあること明かであるに拘らず被告人はこの義務に違背して本件事故を起したのであるから、この過失のみを以てしても被告人は当然有罪であつて原判決は此の点に於て破棄を免れない。

二、原判決は被告人が車掌から数回停車の合図を受けた事実を認め、且その際被告人が最初の停車の合図と同時に停車して居れば本件事故を防止し得たと認め乍らその停車の合図が特に危険を知らせる為の非常の停車合図とは認め得ないことを理由として最初の停車合図と共に停車せずして進行した事は被告人の過失に非ずと判示して居る。危険を知らせる為めの非常の停車合図であつたと認めなかつたことは後記の如く重大な事実の誤認であるが、原判決が認定した事実の通りであつても被告人の過失は免れない。原判決は令第三十条第二号を引用し、同所が停車禁止区域であつたことを挙げ、これを以て停車の合図があつたに拘らず停車しなかつたことは被告人の過失ではないと判示して居るけれども右第二号には停車禁止区域であつても危険防止の為停車することは差しつかえない(当然なことではあるが)と規定して居る。本件車掌の停車合図は被告人が発車した直後に行われたものである。発車直後に停車の合図をすることはそれだけで何等か危険の発生を予知せしめるに十分である。危険のおそれがなければ発車合図をして発車せしめた直後に停車の合図をすると言うが如きことはないからである。従つてかかる発車直後に為された停車合図に対しては即時停車の処置をとるべき義務がある。然るに被告人は此の義務に違背し直ぐには停車せず少し進んでから停車し、其の為め本件事故となつたものであつて被告人は明らかに過失あり有罪である。然るに原判決はことここに出ず過失なしとして無罪の言渡をしたのであつて、過失に関する法規の解釈を誤つた違法のもので原判決は此の点に於ても亦破棄を免れない。

三、而して原判決は、右停車の合図が危険を知らせる非常の停車合図であつたと認めない理由として、公判の証人高垣芳恵の尋問調書の記載に重点をおき、その記載に徴し、楠繁子(車掌)の検察官に対する供述調書の此の点に関する記載は、信用すべき特別の状況なく、又被告人の司法警察員並びに検察官に対する供述調書のこの点に関する記載は任意性なしとして排斥し、停車の合図があつたことは認めるが、此の合図は危険を知らせる非常のものでなかつたから、此の停車の合図に従つて車を止めなかつたからとて被告人には過失はないと判示して居る。然しながら此の合図が危険を知らせる非常のものでなかつたとの認定は事実誤認である。前記楠繁子の供述調書及び被告人の供述調書は何れも任意のものであることは極めて明らかであつて(被告人の調書は被告人も同意して居るし其の他任意でない疑は全くない)此の記載と高垣芳恵の尋問調書の記載とを比較検討するに、高垣は単なる一乗客であり、楠は車掌、被告人は運転者である。乗客は自動車運転については何等の責任はないのであるから、発車や停車の合図にそう注意して居るものではない。従て又それについてそんなにはつきり記憶して居るものではない。その様な者の証言は価値少きものである。而して被告人及車掌の供述は任意にされたものであること前記の通りであつて、此の者の供述調書の方がずつと価値多きものと言はねばならない。本件に於て被害者はステツプから転落して死亡すると言う大事故となつたのであるが、その様な大事故の直前に、その事故なきようにするが為めに為された停車の合図であるからその合図が危険を知らせる非常のものであつたことは此の転落と言う一事からも容易に推認し得られるところであつて、正に右供述調書の記載が真実であると言はなければならない。公判における楠の尋問調書の記載は前記供述調書の記載よりも相当後退して居るけれども、これは敢て異とするに足らない。何故なれば公判に於ては被告人のみが起訴されて居り、なるべく被告人の利益に供述しようとする立場にあるからである。それでも尚「子供はおばあちやん降りる降りると言つて居りました。其の子供は泣声は立てなかつたが声にうるみがありました」と述べて居る。(記録七九丁)又公判前に於ては車掌と被告人とは利害寧ろ相反する立場であるに拘らず、その供述が一致して居るのであつてこの点からも此の供述調書の記載は真実であると言わなければならない。しかのみならず危険が切迫したと思わしめる停車合図であつたことを認める証拠は、単に右の車掌及び被告人の供述調書に止まるものではない。(イ)被害者の祖母宮下かつの検察官供述調書中「中国電力鳥取支店前の停留所でバスを待つて居りました。すると駅の方から続いて三台バスが来ました。私は若桜行きバスに乗ることになつて居たので、宮脇幸子さんから教えられた二台目の若桜行バスに乗ろうとしたところ、それ迄私の手を掴えて居た和子が居りませんでしたので、何処にどうしただろう。前の車に間違つた侭乗つたのではないだろうかと思いあつちこつちを見て居たら前の車に乗つて居るのを宮脇さんが発見して私に知らせました。そこで私は早く停めて貰い和子を降して貰をうと思い其の車を停めてくれと大声で呼び乍らその車の方に飛んで行きました。其の時バスは既に発車していて恰度同停留所交叉点を左の方に曲りそのバスの乗降口のところで女の車掌と一緒に居るのを乗降口の扉が開いて居たので見えて居り車掌が一番下のステツプに立つた侭同じステツプに居た和子を後から掴えて居たかつこうでしたが、間もなく和子が自動車から外に飛降りましたがその頃自動車は停りました様ですが、間に合はず、遂に和子を自動車の後輪で轢いて終いました」(記録一〇六丁裏-一〇七丁裏)との供述記載、(ロ)同人の公判における「私はバスを違えたけえ降ろして-と五、六回位力一杯で言いながら走つてバスを追いかけました」との尋問調書の記載(記録五七丁裏)等がある。右の如くであつて宮下かつが大声で自動車をおつかけて居るのであり、被告人の直ぐ斜後では子供が降りる降りると言つて居る(車掌の公判の証言によつても)のであつてそう言う状況下に発せられた停車の合図であるから、此の合図は危急を知らせる非常のものであることは極めて明白である。此の明白な事実を誤認し、その結果無罪の言渡をしたのであつて、原判決は此の点に於ても破棄を免れない。

以上縷述した通り、原判決は法令適用を誤り且事実を誤認し、その為無罪の言渡を為したのであつて、此の法令の適用の誤及事実の誤認は判決に影響を及ぼすこと勿論であるから原判決を破棄し、更に適当な裁判を求めるため控訴した次第である。

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